言挙げする国々

 Barack Obama
 米国ではバラク・オバマという若手議員が、民主党の次期大統領候補としてヒラリー・クリントンと人気を二分しているそうな。YouTubeで“obama”と検索すると、山のようにスピーチの影像が出てくる。見事なのはその弁舌。立て板に水とはこのこと。黒人特有のリズム感豊かな言葉の畳みかけが、聴衆を次第に熱狂させていく様は見ものだ。的外れかもしれないが、キング牧師やマルコムXといった宗教的カリスマのにおいも感じてしまう。
 片や英国では、保守党の若き党首ディビッド・キャメロンが、個人ブログ[WEBCAMERON]のビデオクリップで人々に語りかけるスタイルが新風を起こしているのだそう。こちらはオバマの熱気とは違い、率直で気取りのない語りかけが、見る人に問題意識の共有を促すだろう。
 欧米では、政治とはまさに言葉による説得術の競い合いなのだ。政治家は伝統的な方法で、また最新のメディアを駆使して、人々に言葉を届け、共感を得ようと死力を尽くす。翻って、この国の政治の言葉の貧弱さはどうだろう。なぜこの国の政治家は、千万の言葉を尽くして人々を説得しようとしないのか。また、やらせや決まりごとではない意見交換が、政治家と人々の間で成立しないのか。たぶんその必要がないほど、この国には民主主義の言論システムが未成熟なのだろう。また、冷静な議論のなかで何事かを作り上げていく風土が希薄なのだろう。この国の人々の心は一つであり、政治家は黙って付き従うことのできる存在なのだろう。