春寒
雨のシャクナゲ。せっかく咲いた花も冷たい雨に打たれて悩ましげ
花冷えが続いた後、ようやく季節らしい陽気が戻ったと思ったら、またもや季節外れの雪さえ降ろうかという寒さ。この春らしくない春は、冬らしくない馬鹿陽気や大雨もあった冬に引き続いて、気象の箍が外れかけている最近の地球異変の一つの表れだろうか。
春寒ということで思い浮かんだ伊東静雄の詩にうたわれる空は、からりと澄んで風の吹き渡る明るいイメージで、今日のような陰惨な空ではない。氷に閉じ込められていた去年の朽葉が春の水に浮かぶというのだから、もっと早い春なのだろうが、仄かに温かさが兆した日や、高空に冬の名残りが流れるような日があって、少しずつ季節の譲位が進む。三寒四温という言葉がふさわしいそんな三月のリズムが、今年はついぞ感じられず、とんでもない高調子や乱暴な連打にばかり振り回されていたような気がするのだ。
それにしてもこの詩は、三つの連のまるで三段跳びのような視点の変化が面白い。それを、ならむ・をらむ・異しむ・ごとからむと、ほとんど脚韻のように働く「む」音が結び合わせている。文語は口語のように冗長蕪雑ではなく、なめらかにリズミカルにうたうことのできる言葉だ。伊東静雄はそれを詩に生かすことのできた最後の詩人だったのではなかろうか。
なかぞらのいづこより
なかぞらのいづこより吹きくる風ならむ
わが家の屋根もひかりをらむ
ひそやかに音変ふるひねもすの風の潮や
春寒むのひゆる書斎に 書よむにあらず
物かくとにもあらず
新しき恋や得たるとふる妻の独り異しむ
思ひみよ 岩そそぐ垂氷をはなれたる
去年の朽葉は春の水ふくるる川に浮びて
いまかろき黄金のごとからむ