オイストラフ・リヒテルのフランク


 先頃、セザール・フランクのヴァイオリンソナタが聴きたくなって、懐かしいLP時代の名盤がCD化されているのを入手した。唯一持っていたギトリス・アルゲリッチの別府での「奇蹟のライヴ」は、あまりに奇蹟が過ぎてちょっとね。
 最初に出会った演奏がその曲の個人的スタンダードを決定してしまうということが往々にしてある。たとえば自分の場合、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を聴く時はフランチェスカッティの嫋々たる演奏と無意識に比べてしまうし、ベートーヴェンの第8交響曲を聴くと、クリュイタンスのLPを流しながら窓の外に夕陽が沈んでいくのを眺めていた甘美な?夕刻を思い出す。以来、8番はベートーヴェン交響曲のなかでも、作為を突き抜けた自然な境地に達した曲だという気がしている。また同じ8番でもドボルザークのものには、廉価版で聴いたコンスタンティン・シルヴェストリという指揮者の思いがけず大胆な演奏の刻印が押されている。
 同じようにフランクのヴァイオリンソナタには、この曲の魅力を最初に教えてくれたオイストラフリヒテルの競演が染みついている。このライブ盤には、ロシアの2巨匠の張りつめた気魄のぶつかり合いがあって、聴き始めるとたちまち引き込まれてしまう。そのことを何十年ぶりかに再確認した次第だが、フランクにはフランスの作曲家らしからぬ重厚な精神性があるのと同時に、フランスらしい感覚的な魅力もある。オイストラフリヒテル盤には後者の要素が乏しく、今となっては少し息苦しい演奏という感じもするのだが、若い頃はこの密度と迫力こそがぴったりきて、そこからときどき美しいメロディが零れるのが心地よかった。
 今度は最近の演奏家によるしなやかなフランクも聴いてみなくちゃ。結局どこまでもオイストラフリヒテル盤と比べながらということになりそうだけれど。