拉致問題

 昨日の朝日朝刊。一面を使ったインタビュー記事のなかで、蓮池薫さんが拉致問題について冷静な提言をしていたのが印象に残った。その部分の引用。

『「北朝鮮に残されている拉致被害者の家族の方々がおっしゃることは、被害者を思いながら、何としてでも帰ってきてほしいという気持ちの噴出です。政治的にバランスをとって、北朝鮮の立場まで考えて話をしたりする余裕はないし、その必要はない。そこを受け止め、斟酌するのは政府の責任です。家族の意向に基づきながらも、北朝鮮を交渉相手として振り向かせて、拉致問題解決にもっていくようにしなければならない。
 そのためには、何が必要かは政府が一番わかっているはずです。なぜならいままで北と交渉してきて向こうの感触をわかっているはずですから。世論がこうだと言っては、こっちによろよろ、あっちによろよろでは、北朝鮮は交渉相手として信じないという一面もある。政権交代があって、今までのしがらみがなくなったのだから、どんどんやっていってほしいのですが。…」』
 つまり、ここで蓮池さんは国民感情と政治交渉とをきちんと分けるべきだと言っているのだろう。拉致被害者の家族はどうしても北朝鮮憎しの思いが強く、時間が経つほど制裁要求をエスカレートさせるのは仕方のないことだが、政府がそれに振り回されていてはいけない。たとえ被害者家族が反発しても北朝鮮の顔も立てながら、うまくテーブルに着かせて交渉を進めるべきだ。それこそが政治の責務だと言うのだ。
 まさに正論だと思う。確かに北朝鮮独裁政権は民主国家とは相いれない存在だが、かといって経済制裁だけで転覆を願うのは、これまで度々そんな甘い観測が流されもしたが、希望的に過ぎる話だし、ましてや武力制裁というのはまったく現実的ではない。政治交渉しか解決の方策はないのだから、拉致家族の感情はそれとして、冷徹に計算づくで駆け引きを進めるべきなのだ。それしか拉致問題の解決の道はないし、それしか拉致家族の願いに答える方法はない。
 「政権交代があって、今までのしがらみがなくなったのだから」というところに、家族会の感情に絡め捕られていた旧政権のスタンスに対して、蓮池さんの感じていた苛立ちが感じられるようだが、新政権はこの問題に関してドライな外交交渉を展開することができるだろうか。