鉄斎美術館

 久しぶりに清荒神もうで。国道176号から山側に上る道は、いつも休日は参拝の車で渋滞していたものだが、駐車場が拡張されてかなり解消されている。すんなり山に上って、とりどりの出店が楽しい参道を抜けて、人の多い境内に入る。しばらく見ない間に史料館なる建物もできて、相変わらずこのお寺は賑わっているようだ。
 外れにある鉄斎美術館の新春の展示は「鉄斎と蓮月」。若い頃に学僕としてしばらく同居して以来、鐵齋にとって学芸上の師のようでもあり、生活上の後援者のようでもあった蓮月尼の作物や、鐵齋との合作をまとめて見ることのできるいい機会だ。
 小沢蘆庵を慕う歌人だった蓮月が、たつきとして手びねりしたという陶器は、茶碗・急須・花器・酒器など様々だが、それぞれに歌が彫り込まれているのが楽しい。たとえば、筍を逆さにした姿の壁掛けの花器に、「この君はめでたきふしを重ねつつ末の代ながき例なりけり」。小さな盃にもちゃんと歌が彫られている。これらは蓮月焼と呼ばれて京土産として持て囃されたようだが、なるほどオリジナリティを効かせた面白い商品企画で、この老尼は人の気持ちを動かす勘どころを知った人だったことが感じられる。
 陶器以外にも、鐵齋との合作や単作の掛け軸に書かれた歌の、細い筆によるしかし繊細一方ではない、踊りの手振りのような流麗さを備えた手蹟にも、ほれぼれとさせられる。晩年に鐵齋に渡したという自らの履歴を記した巻紙に、流れ、ひるがえる文字の美しいこと。思えば、かつては実用と美とがこのように接した文化があったというのに、筆を捨て、万年筆を捨て、今や字を書くことまで機械に委ねた我々は、いや少なくとも自分などは、年々文字から遠ざかり、たまに書くそれはほとんど判別不可能である。展示室中央のガラスケースに収められた巻子を近々とのぞきつつ、ついそんな反省にまで駆られた蓮月の手蹟だった。
 ほかに鐵齋の絵も蓮月の道具にシンクロするものを中心によく選ばれているし、小沢蘆庵の一枚起請文なるものまで見れて、なかなかに充実した展示だった。続いて春には開館35周年の特別展が控えているようなので、また花の頃に。