二つの震災

 ハイチ地震の想像を絶する現場写真。Earthquake in Haiti
 天災というのはほんとうに厄介なものだ。加害者なき大量殺戮。怒りをぶつける相手がないし、戦場のようにヒロイズムの慰めが露ほどもないから、悲しみを和らげる拠り所もない。
 それでも15年前の阪神震災では、被災者がいたわりあって、いわば美しい物語をつむいで、一時的に日常生活は崩れても、町の精神が荒廃することは防いだ(15年経った今でも、震災記念日前後の報道にはこの美しい物語ばかりが強調されて、現実が冷静に分析されていないのはどうかと思うが)。ところがハイチでは被災地の治安が悪化し略奪が横行しているという。被災者同士がなぜ傷を深めあうようなことをするのだろうと思うが、そこには神戸にはなかった大きな貧富の差やスラムのような社会的な疎外があるのだろう。天災は社会の弱い部分を直撃してそのひずみをあぶり出すもののようだ。
 もっとも阪神震災でひずみが見えなかったわけではない。あの震災で見えたのは、地方の為政者の偏った権力の運用、具体的には神戸空港建設強行に示された封建領主めいた大規模建造物志向だろう。震災後は当然人々の生活をきめ細かく支えることに使われるべき公的なエネルギーが、海上に人の住まない空港島を建設するために費やされたことは、驚くべき愚挙だった。もともと必要性の低かったこの空港は、案の定、今や財政的にも航空行政的にも地域のお荷物となって、早くも一部には廃止論さえ出始めている。