ウィーン世紀末展

 天保山サントリーミュージアムで開催されている標記の展覧会を見てきた。安治川河口にあるサントリーミュージアムに向う前に、その上流の北浜に碇を降ろし、以前から行ってみたかった東洋陶磁美術館を訪ねる。

 中之島のほとんど最上流、大川沿いの静かな美術館には、中朝日の古い器が丁寧に展示されている。近くにあれば時々出かけてぼんやり眺めて回りたくなるような好施設だ。陶磁器を見る時はいつも、欲しいかどうか、自分のそばに置いて矯めつ眇めつ撫でさすっていたいかどうかを基準に見てしまう。もちろんそんなことは不可能なのだが、絵の鑑賞とは違う玩味というか、道具としてのより官能的な楽しみが想像できることが魅力だ。だから、安宅コレクションの名だたる名品はもちろんまぶしいが、高麗青磁のしぶい青がもっと印象に残ったりする。また、沖正一郎コレクションの見事な鼻煙壺の数々が、一角の小部屋に常設展示されているのも、楽しい見ものだった。そういえば「皇帝の嗅ぎ煙草入れ」という推理小説の傑作があったが、これのことだったか。

 車を駐めた近くに適塾跡があったので、ついでに見学。小さな公園を挟んで2区画の木造建築があるが、大きい方は市立の愛珠幼稚園で、今も現役の幼稚園として使われているというから素晴らしい。小さい方が適塾で、入館料を払って見学できる。一般の商家のたたずまいを残しながら、2階には塾生の居室になった広い屋根裏部屋が作られている。都会で思いがけず伝統的な空間に入り込んでみると、一層その伸びやかさが心地よく感じられた。
 高い駐車代で都心停留の代価を払ってから、安治川河口の天保山ハーバービレッジへ移動。「ウィーン世紀末展」の観覧者はクリムトの魅力のせいか、圧倒的に女性、特に20代30代の若い女性が多い。呼び物のクリムトエゴン・シーレ、ココシュカの展示を中間に挟んで、両側にその他の多くの日本では知られていない画家の絵が並ぶ構成。個人的にはそれら未知の画家の風景画に引かれることが多かった。

 19世紀末、20世紀始めのウィーンは、多くのすぐれた画家を輩出した美術の都だったようだ。その頂点にいるのがクリムトとシーレだが、その作風がまったく異なるように、ウィーン画壇を構成する大小の画家たちの作風もさまざまだ。双耳の山頂はかなり高いのだが、裾野も広く起伏に富んでいる。そんな独立峰がわずか30年ほどの間だけ西洋美術史にそびえ立ったのだ。時代と地域と芸術的創造性の関係の不思議を感じさせる展覧会でもあった。
 ところで、いつかのガレ展以来のサントリーミュージアムだったが、来年いっぱいで閉じられるらしい。サントリーは日本でも指折りのメセナ企業だが、キリンとの統合でその先行きは危うそう。この美術館を訪れる機会はもうないかもしれない。