棲鳳園詩集

 先日オークションで落札しそこなった詩集。高値がついたわけではないのに踏ん張らなかったのは、立命館大学書籍閲覧システムに全ページの画像データがあるのを、親切にも出品者が教えてくれていたから。和本には強烈なフェティッシュ性があるが、後々の保管に自信がないので、最近は影印で我慢してしまうことが多い。コピーなら寝床で自堕落に拾い読みすることもできるしね。

 舞鶴市郷土資料館が所蔵する糸井文庫を画像アーカイブ化したらしいこの閲覧システム。野田笛浦や新宮凉庭といった有名人の名前も見えるが、「棲鳳園詩集」は「奥三郡諸家」というジャンルに入っている。丹後峰山藩の高木龍洲という人の漢詩集で、糸井文庫には初編と正編がある。同じジャンルにある「峰山詩集」3冊には峰山藩の漢詩人10人が収められていて、編者島本博教の緒言には、「峰山詩社」で最年少の編者が、幼きより録し溜めた諸老先生の詩稿を、「吾が郷の乏しからざる風騒」を知らしめんがために上梓する、とある。峰山藩はわずか一万石の小藩だが、江戸後期に各地で盛んに起こったという漢詩の交わりが、この地にも及んでいたことは興味深い。高木龍洲は上巻の半分を占め、「棲鳳園集、棲鳳園百絶有り。已に世に行わる」と紹介されているから、この詩社の代表選手といった存在だろうか。

 峰山は昔、丹後半島へ海水浴に行く途中に何度も通ったことがあるが、特別な町並みの印象はない。この辺りは昭和の初めの大地震で一度壊滅しているから、もう藩政時代の名残りもほとんどないのだろう。そう考えれば「棲鳳園詩集」の存在は貴重だ。もうちょっと頑張って落札しておくべきだった?

  秋日郊居
 東山 曙んと欲して西山霽れ
 來雁 未だ來らずして 歸燕歸る
 早起 閑人 作す所無く
 つらつら看る 草樹 露華の晞くを