「現代思想」臨時増刊・加藤周一


 まず表紙がかっこいい。思わずもう一冊買って壁に飾っておこうかと思った。
 加藤周一は容貌もなかなか魅力的な人だった。生涯に3人の妻を持った。すなわち、彼に惚れる女は多かったし、女性との交遊を心から楽しむ人でもあったようだ。
 抜群の知性は感覚の喜びを妨げなかった。古今東西の芸術を的確に感受して、大きなパースペクティブに位置づけたが、それだけでなく江戸人譲りの現世的な快楽主義者の一面も持っていた。
 『幻想薔薇都市』(1973)の「華麗なポルノまたは……」、『三題噺』(1977)の「狂雲森春雨」。この2編には嬉々として官能的な表現を試す、多くの人の知らない加藤周一がいる。若き日の小説「ある晴れた日に」は、小説という形式と加藤周一の才能との相性の悪さを感じさせたが、この2冊のユニークな創作集には彼の文学的な才能が結実している。幸い古本で容易に入手できるので、加藤ファンはぜひ読まれたい。
 この「現代思想」増刊には、力の入った加藤周一論がたくさん収められていて、読みごたえ十分。ただそれぞれの論を読んでいると、だんだん加藤のイメージが痩せて感じられてくるのは、この人が誰にとってもその全容を十全に理解し論評するには大き過ぎる、文学・芸術・社会・政治に渡る有機的思考体系だからだろう。
 一番面白かったのは、何編か収められている加藤自身の文章だというのは皮肉。特に、平凡社大百科事典の「日本」の項目に書いた文章の見事さ。ここには過去から現在までの日本についての、ほとんど快感を感じさせるほどに完璧な定義がある。そして、加藤周一のあのニヤリとした顔を思い起こさせる日本的現象への皮肉まであり、読者は激しく納得しつつ時に頭を掻くことになる。

集団主義とともに、この倫理的主観主義は、今日なお日本社会の中で機能している。議会で野党の議員が予算案について質問すると、大臣が〈その問題には誠心誠意対処してゆく所存でございます〉と答える。この国では、だれもその答えを冗談とは受け取らないのである。』