奈良井

『木曾街道、奈良井の驛は、中央線起點、飯田町より一五八哩二、海拔三二〇〇尺、と言出すより、膝栗毛を思ふ方が手取早く行旅の情を催させる。
 こゝは彌次郎兵衞、喜多八が、とぼ/\と鳥居峠を越すと、日も西の山の端に傾きければ、兩側の旅籠屋より、女ども立出でて(中略)……と思ふと、ふと此處で泊りたく成つた。停車場を、もう汽車が出ようとする間際だつたと言ふのである。』
 泉鏡花の名作「眉かくしの靈」を読んでその舞台、奈良井宿を訪ねたのはもう二十年近く前のことだが、先日、乗鞍山麓白骨温泉に一泊した短い信州旅行の途上、久しぶりに再訪してみた。
 国道19号沿いの道の駅に車を停めて、まだ新しい木製の太鼓橋で奈良井川を渡り、線路の下をくぐって旧中山道に出ると、かつて鳥居峠が越えた西の峠山に向って奈良井の町並みが伸びる。一目見るなり、以前とずいぶん変わってしまったことに気づいた。
 昔は部分的にゆかしい町並みが残るものの、おおむね宿場町の残骸といった雰囲気の眠ったような谷あいの町だった。家族連れで歩いたのだが、特に立ち寄る店も買いたくなる土産もなく、子どもたちが退屈していた覚えがある。ところが今では1キロ近い長い町並みがほぼ整備されて、宿場の面影がみごとに復元されているのだ。
 道の両側には大きく張り出した軒を揃えた、落ち着いた格子窓の二階家が続き、電柱・電線や派手な看板は完全に姿を消している。そして、それぞれが旅館・民宿、土産物屋、飲食店を営み、そぞろ歩くたくさんの観光客の足をとどめている。昔は見物客なんてほとんどなく、ほぼ地元民のための町だったのだが、まあ、久しく見ない間にみごとに観光地に変貌したものだ。
 ちょっと違和感を感じつつも、骨董屋をのぞいたり、大きな土間の奥の静かな座敷で五平餅を頬張ったり、しばしのノスタルジックな町歩きを楽しんだ。「まるで映画村」といった批判もあり得るだろうが、あのまま埃っぽい宿場町の残址でいるよりも、かつての資産を生かして新たな観光地として復活する方がいいに決まっている。もう、こんな「行旅の情を催させる」筆致で描写される、幻想的な怪異譚の舞台となることはないだろうけど。
『日あしも木曾の山の端に傾いた。宿には一時雨颯とかゝつた。
 雨ぐらゐの用意はして居る。驛前の俥は便らないで、洋傘で寂しく凌いで、鴨居の暗い檐づたひに、石ころ路を辿りながら、(中略)旅のあはれを味はうと、硝子張の旅館一二軒を、故と避けて、軒に山駕籠と干菜を釣し、土間の竈で、割木の火を焚く、侘しさうな旅籠屋を烏のやうに覗込み、黒き外套で、御免と、入ると、頬冠をした親父が其の竈の下を焚いて居る。…』


この店は以前のまま