落花

 やや標高があって季節が少しだけ遅いこの辺りも、気がつけば花の雲は姿を消している。思えばこの春の桜は、子供の迎えの行き帰りに車でくぐった、線路脇のささやかな花のトンネルだけだったなあ。まあ山へ行けば、まだ5月頃までは谷に煙る山桜に見惚れる機会はあるのだが。
 感じ損なった落花の風情を、ちと江戸の漢詩で。
  ○墨水雨中春を送る
  東君を引きてとどめること一旬難く
  傷心 最も屬するは此の江茺
  笙歌寂しきかな 空しく夕垂れ
  風雨依然 また春を送る
  路有り 皆芳草の岸に沿う
  舟として落花の津に繋がざるは無し
  憐れむ可し 樓閣朦朧の影
  猶是れ繁華夢裏の人
 大沼枕山の「枕山詩鈔」初編巻之下から。第一句の「東君」は春の神様。春の神様を十日引きとめるのは難しい。その別れのつらさを最も感じるのはこの墨堤。なぜならそこは十日持たずに散り急ぐ花の名所だから。そして花散らしの雨の中の墨堤の情景が描かれる。第六句の「舟として落花の津に繋がざるは無し」はみごとに決まった句だと思うけれど、似たような先例はあるのだろうか。対岸の楼にぼんやり人影が見えるのは、なお春の夢を求める人。もう春はここにはいないのに…。
  ○春夜櫻祠即事
  落花の江水 春を流さんと欲す
  皓皓たり空中の孤月輪
  此の如き春江 花月の夜
  何ぞ堪えん 酒醒めて離人に對するに
 藤井竹外の「竹外二十八字詩」後編巻之上から。タイトルの「櫻祠」は大坂の大川端の桜の名所、桜宮のこと。4句目の「離人」はふつう旅立っていく人のことだが、これも春を擬人化したものだろう。酔いの醒めた目で大川端の春が去って行くのを眺めるのは切ない。これすなわち、枕山の「繁華夢裏の人」が夢から覚めた時の感慨か。おもいがけず、この2首はみごとにシンクロしているではないか。