佐藤春夫記念館

 紀伊半島の外縁を3分の2周ほどする一泊旅行の途中、新宮の佐藤春夫記念館に立ち寄った。文京区関口町にあった旧居を、平成元年に熊野速玉大社の境内に移築・復元したもの。新宮は佐藤春夫の出身地で、生まれたのも速玉大社に近い市中だったようだ。

 昭和2年完成という佐藤春夫邸はユニークな洋館作りとして知られ、よく繁った緑のなかに塔風の屋根が尖る写真が残っている。移築された記念館の外観は写真とは少し雰囲気が違う気がしたが、中に入ると原状がよく保存されているよう。特に、狭い階段を上った2階の片側は大きな窓とガラス天井の明るい空間で、廊下と吹き抜けの当時としてはユニークな作りが、建物全体に開放的な雰囲気を与えている。
 さすがに「美しい町」で理想の住宅都市建設の夢想を描いた人らしく、この家にも素人建築家としてのアイデアが反映されているようだ。目につくところでは門や玄関、窓はアーチになっているし、2階には上記の「サンルーム」(当初はバルコニーで戦後になって改築されたようだが)や八角形の小さな書斎もある。階段や廊下の手すりの桟にはアールヌーボ風の鋳鉄が使われている。といって、千代婦人が使ったという和室もあるから、大工は大いに苦労させられたことだろう。
 ところで、こんな家に暮らしながら、佐藤春夫は後年もっぱら和服を着るようになったというから面白い。マントルピースのある応接間に畳床を設えてそこに座って客に応対し、2階の書斎でも文机に向って執筆したという。江戸の詩文に通暁しながら、最後まで洋服で通した永井荷風と対照的なのが興味深いが、その荷風の偏奇館が焼けずにあっても、この春夫邸ほどに保存に値する建物だったかどうかは甚だ疑問だ。この家には佐藤春夫の多面的な才能の一班が注がれていると感じた。