水村美苗『私小説』『本格小説』

 『日本語が亡びるとき』で日本の現代小説をばっさり切って捨てた著者の、では実作はどうなのだろうと、久々に日本の新しい小説を読んでみた。ずいぶん人を食ったタイトルの小説だが、どちらも面白かった。考えたら日本の現代小説を投げ出さずに最後まで読んだのも久しぶりだ。
 日本文学史のいわば対概念をタイトルにした2作だが、見方によっては『私小説』の続編が『本格小説』といえなくもない。前者は親の転勤で少女時代を根こそぎアメリカに移植されてしまった姉妹のその後の、複雑な差異を抱え込んだ結局どっちつかずの生を、姉妹の電話での会話を中心に描いている。姉の言葉の半分近くが英語で話されるために、この小説の表記は横書きだ。タイトルを素直に信じるなら、この姉妹と家族の物語は著者のものと重なるのだろうが、果たしてどうか。この小説は著者と同名の妹がついに日本に帰って小説を書こうと決意するところで終る。
 一方、後者も出だしは私小説風で、アメリカ暮らしにとけ込めない少女の話だ。その頃出会った不思議な青年の数奇な人生を、後年、『私小説』に予告されている通り小説家になった少女が知るところから物語は始まる。後は時間を忘れて読みふけってしまう面白さ。虐げられた孤児が後年成り上がって主家の前に現われるという筋は、『嵐が丘』の影響が指摘されているようだが、それだけでなく、語り手となる元女中の語り口には王朝物語の匂いもあるし、旧軽井沢の別荘族の心の動きの描き方にはジェーン・オースティンや谷崎の余波も感じられなくはないよう。さまざまな前代の文学の余香を宿した、今となってはこれは懐かしさを感じさせる小説でもある。このほとんど時代錯誤的ともいえる恋愛物語は、少女時代をひたすら小説に没入して過ごしたという著者の濃密な文学体験が生んだものかもしれない。その物語は確かに大時代的だが、なお人を動かす力を備えているのが、思えば不思議だ。