加藤周一逝く

 加藤周一、死去。朝から大きな喪失感にとらわれている。真っ暗な荒海を一筋照らしていた灯台の光が突然消えてしまったようだ。子どもの戦争ごっこめいた雑な世界観を振り回す自称リアリストが横行するなかで、時代の悲惨に真っ先に直面することになる個人の視点に立ちながら、遠くまで考えることをやめなかった知性。さすがに年をとって著述は減っていたとはいえ、この人がどこかで、あのギョロッとした目で見、ものを考えていると思うと、まだ日本は大丈夫という気がしたものだ。これからはだれを頼りにすればいいんだろう。
 加藤周一のことを知ったのは高校生のとき。岩波新書の「羊の歌」を読んでたちまち魅了された。この本は自伝なのだが、個人の経験を書きながら大状況にまで及ぶ知的射程の長い文章は、小説ばかり読んでいた文学少年にとって目の覚めるような鮮烈さだった。以来、加藤周一は読書の柱、というだけでなく、文化や社会理解への指針になって、最後の『日本文化における時間と空間』まで少なくない著作を読んできた。
 もちろん、芸術から社会、政治まで、当たるところ論じざるはない加藤周一の文章は、自分の視野をはるかに超えたもので、その導きに従ってどれだけ蒙を啓かれ得たかは甚だ心もとない。そもそも、そんな大きな知性に憧れずとも、小さな自分の畑を一心に耕していれば、ささやかな花が咲いたかもしれないのにと思わないでもないが、そこに大きな山が聳えるのを知ってしまえば、その山麓なりとも歩いてみないではいられないのが人というものじゃなかろうか。
 一度だけその謦咳に接したことがある。といっても、さる大学の文化祭で講演会があったのをのぞきにいっただけのことだが、当時60歳前後だったろうか、しなやかな談論風発ぶりが記憶に残っている。今、ネットにある「九条の会」の講演記録を見ると、さすがに30年の時間は賢人にも重いが、言葉と論理の明晰さは少しも変わらない。夏まで続いた朝日「夕陽妄語」の充実といい、この人に晩年はなかったと思う。
 (12月14日にNHK教育インタビュー番組があるらしい。たぶん病を得てからの最後の映像だろう。端座して見るべし。)