水村美苗『日本語が亡びるとき』

 先日の朝日新聞書評でも取り上げられていた通り(何とも舌足らずな評だったけど)、実に刺激的な本。挑発的な本でもある。
 重要な論点が幾つもあって、まだ頭のなかで整理できてないけれど、一応自分が大ざっぱに理解したところを組み立ててみると。
 1)言語の歴史、特に書き言葉のそれには、複数の文化圏に渡って学問や芸術表現の言葉として使われる「普遍語」という支配的な言語が存在する。かつてのヨーロッパのラテン語、東アジアの漢文がその典型。
 2)「普遍語」はエリートの言葉だから多くの人は読めない。西ヨーロッパで国民国家が成立し、国単位での学問・芸術の普及が必要になると、「普遍語」であるラテン語から各地域の言語「現地語」への翻訳が盛んになり、その過程で「現地語」は「普遍語」の高度な内容を十分に受け止めることのできる充実した言葉、「国語」へと成長していく。
 3)やがて翻訳するだけでなく、「国語」で書く思想家・芸術家が出現し、各国で国民文学の花が咲く。仏・独・英文学がその最もみごとな例。また、同じ根をもつヨーロッパの言葉は習得しやすく、逐語訳も可能なため、三大国語は学問の言葉としての役割も荷なっていく。
 4)一方、日本。明治維新でそれまでの「普遍語」である漢文を棄てて、西洋の知識・思想を急速に「現地語」としての日本語に翻訳していくなかで、やはり「国語」としての書き言葉が成立する。二葉亭四迷漱石・鷗外ら英才によって近代国民文学が開花し、陸続とすぐれた文学が生まれる。
 5)この日本の国語と国民文学の成立は奇跡と呼ぶべき出来事である。非西洋圏において奇跡的であるだけでなく、西洋でも国民文学の名に値するものをもつ国は少ない。
 6)ところが20世紀後半から英語圏の圧倒的な政治・経済力を背景に、英語の支配力が高まっている。非西洋人が参加するようになった学問の世界・経済の世界では、単一の学問語・ビジネス語の必要性が高まり、もはや英語が「普遍語」となっている。
 7)加えてインターネットの普及によって、英語での発信は瞬時に膨大な読者を得ることになる。英語への傾斜はますます加速し、情報を求める人、知恵を求める人は英語で読み、国語で読まなくなる。読まれない国語で書くことよりも、読まれる英語で書くことがじわじわとあらゆる分野に広がっていく。
 8)それは文学にも及ぶ可能性がある。以下、引用。

 『英語が〈普遍語〉になったことによって、英語以外の〈国語〉は「文学の終わり」を迎える可能性がほんとうにでてきたのである。すなわち、〈叡智を求める人〉が〈国語〉で書かれた〈テキスト〉を真剣に読まなくなる可能性がでてきたのである。それは、〈国語〉そのものが、まさに〈現地語〉に成り果てる可能性がでてきたということにほかならない。
 〈国民文学〉が〈現地語〉文学に成り果てる可能性がでてきたということにほかならない。』
 9)ここも断片的引用。
 『悲しいことに悪循環はとうにはじまり、日本で流通している〈文学〉は、すでに〈現地語〉文学の兆しを呈しているのではないだろうか。』
 『実際、今、たとえ二重言語者ではなくとも、〈叡智を求める人〉であればあるほど、日本語で書かれた文学だけは読まなくなってきている。読むとしても、娯楽のように読み流すだけである。』
 『日本に帰って、いざ書き始め、ふとあたりを見回せば、雄々しく天をつく木がそびえ立つような深い林はなかった。木らしきものがいくつか見えなくもないが、ほとんどは平たい光景が一面に広がっているだけであった。「荒れ果てた」などという詩的な形容はまったくふさわしくない、遊園地のように、すべてが小さくて騒々しい、ひたすら幼稚な光景であった。』
 以下、「国語」を生き長らえさせるための英語教育と日本語教育の提言でこの本は締めくくられる。
 この本の第一のインパクトは、今の日本文学、とくに小説の状況を「ひたすら幼稚」と切って捨てたことだろう。反発する小説フリークもいるだろうけど、よくぞ言ったという気がしないでもない。けれど、それ以上に日本語の「国語」としての先行きの危うさを指摘していることが衝撃的だ。要約の7から8へ、状況はほんとうにそこまで深刻になっていくのか、世界でも有数の国民文学を生みだした日本語の栄光は永遠に過去のものになってしまうのか。自分には判断する能力も材料もないが、一つ連想したことがある。
 それは他ならぬ富岡鐵齋のこと、そして日本の南画のことだ。日本南画は鐵齋で華麗な頂点をきわめる。鐵齋は筆と墨と伝統的な絵の具の用い方を極限まで広げて、世界の絵画のなかでも東洋画にしか存在しない美を実現した。しかし、その筆と墨の東洋画の美の可能性は、その後忘れ去られた。忘れずに鐵齋の後を追おうとした人もいたかもしれないが、日本社会自体が筆と墨を捨てたことで修練の機会は急速に失われ、人々の関心も離れた。気の抜けた日本画だけが残った。
 筆と墨を捨てて、油絵具を選んだことに芸術上の必然性はまったくないが、筆と墨から西洋の筆記具への移行には、効率上の必然性があったかもしれない。つまり歴史の必然が鐵齋が切り拓いた美を立ち消えにした。
 同じように、日本語から英語への重要な表現活動での移行は歴史的必然となるのだろうか。しかし、筆を持ち替えることは容易でも、言葉はそうはいかない。また、言葉が本来ローカルなものであるのと同様に、文学も、常にグローバル化が可能な学問やビジネスの言葉と違い、個人の生活や経験・感情に根ざした個別・特殊なものだから、ネイティブな言語を離れて表現することは難しいだろうと考えることもできる。日本語が列島から消え去らない限り日本文学も不滅。たまには傑作も書かれて、その孤塁を補強するだろう。今はそう信じたいのだが。