地獄谷温泉

 3泊目は懐かしい地獄谷温泉に宿をとった。前回泊まったのは、今は社会人になった娘がベビーカーに乗っていた頃だから20年以上前。秘湯ブームの走りで、藤嶽彰英の本を読んで行ってみる気になった。その後、日本の温泉地は大いに様変わりしたが、当時極めつけの秘湯だったあの宿、後楽館はどうだろう。楽しみ半分、心配半分で予約した。
 渋温泉を過ぎて、谷の右岸の狭い林道を慎重に進むと、管理人のいる有料駐車場に着く。宿へはここから山道を歩いて10分ほど。以前は左岸を30分ほども歩いたはずなのだが、最後は歩きになるにしてもずいぶん便利になったもんだ。それだけに日帰り入浴に訪れる人も多いようで、もう秘湯とは呼びにくいかもしれない。
 鈴虫の声がしきりにする山道を、少し汗をかいて宿に到着。外観は記憶にあるのとほとんど変わっていない。部屋に案内されると、古い木の階段ときしる廊下、サッシではないガラス窓、部屋の内装はいくらかきれいになったみたいだが、それ以外はぜんぜん昔と変わってない。ひと安心して、さっそく温泉へ。
 天井の高いオール檜の内風呂、これも記憶のまま。外にでると川岸の露天風呂。対岸の野猿公苑への道からは丸見えだし、底の岩には苔が生えて滑りそうで、相変わらず入るのに少々勇気がいる。それに、やはりコンクリート打ちそのままで、小ぎれいにしようという気もなさそうなのが、この際うれしいなあ。
 ゆっくり風呂に浸かり、静かな部屋で鈴虫の声を聞きながら山の夜がふけた。昔と何も変わっていないノスタルジックな宿。いや、それだけでなく、今回は賑わっていた昔と違い、客は我々と若いオーストラリア人の男女だけで、彼らが夕食の鴨鍋に材料を一度に放り込んで吹きこぼれそうになっているのを見かねて、鍋の食し方を片言で指南したり、20年前と変わらずマニア好みの卓球室で、20年前にはやらなかった温泉卓球を夫婦でやったり、朝、猿の群れがやってきて、窓の外に遊ぶのを見ながら朝食をとったりと、また楽しい思い出が加わった地獄谷再訪になった。