神戸市立外国人墓地

 娘が申し込んでいた修法ヶ原の外国人墓地見学会に出かけた。長らく一般には公開されていなかったのだが、2006年から月に一度見学会をやっているらしい。しかし、なんで一番暑いこの時期に申し込むかなあ。
 昼過ぎ、六甲山中修法ヶ原の広場に集合して、ガイドさんに率いられて出発。午前と午後の2回あり、午後の部の参加者は23人。子ども連れの家族からリタイヤ世代まで幅広い顔ぶれ。中には登山姿の人もいる。
 ゲートを過ぎると、苑内は2個所以外は撮影禁止、メインの苑路外の立ち入りも禁止とかで、ガイドさんの説明を聞きながら大人しく苑路を歩く。起伏の多い広い敷地のなかに分散して、宗教ごとの墓域が設けられている。見ていくとダビデの星を彫ったユダヤ教の墓、特徴的な十字架のロシア正教の墓、ムスリムの墓と、墓石の様子も国際色豊か。20を超える宗教が数えられるという。また同じ宗教でも欧米人の墓のデザインは故人の生前を反映してバラエティ豊かで、四角い石が並ぶだけの日本のものとずいぶん違う。彼らは墓に入ってさえ個性を主張するようだ。
 写真撮影が許されたのは、無縁になった人の簡単な墓標が並ぶ墓域と、一番奥にある小野浜地区。後者は外国人居留地に近い生田川の河口付近にあった古い小野浜墓地を移転したもので、墓石は一段と古びているが、見渡したところ立派なものが多い。そしてこの墓域の入口には、幕末の攘夷事件として知られる堺事件で土佐藩士に殺された11人のフランス水兵の慰霊碑と墓標がある。これも小野浜墓地から移されたもの。この墓苑の最大の歴史的モニュメントだろう。
 1時間あまりかけてゆっくり苑内を一周して見学は終了。最高に暑い日だったが、六甲山中の静かな墓地は、自然と神戸のもう一つの歴史が溶けあったスピリチュアルな散策の時間を与えてくれた。今後もう少し見学の規制が緩やかになればいいのだが。

無縁になった人の墓標が並ぶ丘

堺事件のフランス兵墓所

十字架の台座には「虐殺」「堺」の文字が

古い墓石が並ぶ小野浜墓所。手前左端が関学の創設者W.R.ランバスの墓