遠回り高速道

 東海北陸道が本日全線開通だそうな。飛騨に行くには実に便利な高速道路で、特によく利用する登山基地新穂高へは、昔は飛騨川沿いに延々走って高山に至り、さらに平湯峠を越えて一日がかりで入ったものだが、今ではこの道のおかげで、夕方に出て日付けが変わるころには新穂高の無料駐車場に入り、ゆっくり車中泊して歩き始めることができる。国の財政という面では問題の多いローカル高速道だが、登山者は特に恩恵をこうむっていることが多いので、実は大きな声で指弾しにくい。いつか南アへのアプローチでとんでもない山の中にとてつもない高規格トンネルが現われて、そこを終始一台きりで走り抜けた時は、さすがにあきれ返ってしまったものだが。
 ところで記事を読んでいると、今日開通した最後の工事区間は飛騨清見から白川郷だという。って、荘川から白川郷をつなぐんじゃなかったの? 地形的に見ても距離から言っても、荘川から御母衣ダムの横を通って白川街道沿いに北上すればたやすく白川郷に至れるはずなのに、実際の道は大きく東に迂回して、その上天生峠の下を飛騨トンネルで越えるという絵に描いたような遠回りを演じている。なんなんだろう、これは?
 その内情について取り上げているのが、岐阜新聞の「幻の御母衣ルート 中部縦貫道絡み変更」という記事。これによると松本から福井を結ぶ中部縦貫道を早期に実現したい高山市関係者の要望でこの遠回りルートへの変更が実現したということだが、どうも納得できない。それだけの理由で難工事が予想される(そして事実稀に見る難事業になった)天生峠越えルートに変更させたとすれば、それはとんでもない地域エゴであり、国費を無駄に費消する亡国的な行いなのではないだろうか。
 実際、今日開通した飛騨清見IC〜白川郷IC間の総事業費は約1,860億円、そのうち半分の約980億が飛騨トンネルの事業費だというんだから驚く。1千億の税金が本来必要のなかった飛騨山中のトンネルに消えた。天生峠を舞台に名作怪異譚「高野聖」を書いた泉鏡花もビックリのなんともお粗末なミステリーだ。東海北陸道の不合理にひん曲がったルートは、利益誘導型政治の恥ずべき象徴として今後記憶されるべきだろう。