ヴィレッジ

 昨夜地上波でやっていた「ヴィレッジ」という映画が面白かった。
 舞台は前近代の雰囲気の漂う村。人々は家畜を飼い、畑を作り、艷光りするシェーカー風の家具が置かれた簡素な家で暮らしている。周囲は深い森に囲まれていて、そこには魔物が棲むと信じられている。信じられているどころか、禁忌を侵して森に入るものがあると、実際に異形のものが夜、村にやってきて家畜を殺し警告を与える。だから村は完全に外界と隔絶して営まれている。ここまではゴシックホラー風の展開だ。
 ところが、重症を負った恋人を助けるために、盲目の娘が外界に薬を求めに行かなければならなくなったことから、村の秘密があきらかになってくる。娘が森を抜け、高い柵を越えると、そこにはアスファルト道が通じていて、ジープに乗った監視員がやってくる。つまり村が存在しているのは、まぎれもない現代で、人の立ち入りはおろか上空を飛ぶことさえ禁じられているという自然保護区のなか。要するに村は、社会生活に深く傷ついた村の長老たちが、その子供たち孫たちを中世物語的なマインドコントロール(魔物は実は着ぐるみなのだ)で囲い込んだ隠れ里であり、彼らにとっては世界の汚濁を拒絶した桃源郷だった、というわけ。
 もちろん設定的にはかなり無理のある話で、中世物語の崩壊を防ぐために盲目の娘を狂言回しに使った筋立てなどもちょっと強引過ぎる感じがしたけれど、とにもかくにも現代に隠れ里を現出してしまった力業が面白かった。それにいろいろな夢想に誘う映画でもあった。
 たとえば、まったく孤立した隠れ里を現代に作るとしたら、どんな方法が考えられるだろうかとか、日本ならどこがいいかとか、時に登山のアプローチで山道を延々たどった末に出会う僻村と呼ぶには自己充足感の感じられる山里のことを思い出したりしながら、ぼんやり考えたりした。また、桃源郷という思想は牧歌的で理想主義的なイメージでとらえられがちだが、実はこの映画のように深い厭世観から生まれたものかもしれないと思った。
 森への恐れの感覚も印象に残った。たとえばハリーポッターに登場する森を考えても、欧米の伝統には森への恐れが色濃い。だから人々は森を切り拓き牧草地を広げて、人間の領域を広げてきた。ヨーロッパにはほとんど原生林は残っていない。ところが伝統的な日本の生活は、水を引いたり堆肥や薪炭を得たり、森の恵みに依存して営まれてきた。森は恐ろしい異界ではなく、自分たちが育まれ、やがて帰っていく懐かしい場所だ。山林に交わることをテーマとする文学も、鴨長明から大江健三郎まで数多い。対して、この映画で見る森の描写は、いかにも寒々しく人間を拒んでいる風で、これだけ自然との親和が尊ばれる時代でも、彼ら欧米人の基底からは森への恐れがなお消えていないことがうかがわれて興味深かった。
 監督は「シックス・センス」「サイン」のM・ナイト・シャマラン。なるほどね。新作の「ハプニング」も期待できそう。