湯餅

  寺荘
 大麥は苞を成し 小麥は深し
 秧田 水満ちて 緑 針を浮かぶ
 今年一飽 全く慮無し
 寛ぎ盡す 歸舟去客の心
 先日紹介したくたびれた版本の『三家妙絶』から范成大の絶句。ちょうど今頃だろうか。麦はよく実って、水田には針のように苗が植わっている。今年は食べ物の心配も全くなさそう。そんな田園風景を見ながら舟で帰っていく私の心もゆったり寛いでいる。
 で、この詩にもメモが貼られていて、
 人言う 麦信 春末好しと
 湯餅 今年 慮已に寛し
           放翁
 とある。麦の出来を喜び、食の心配のないことを喜んだ、放翁陸游の同趣向の詩句を引いたもののよう。湯餅はうどん。メモ書きの裏に香川飯山町の文字のあったことは既に書いたが、そこは讃岐うどんの本場とか。うどんの国の漢学の徒は、麦を見て湯餅をイメージした陸游の感性をさすがに見逃さなかったというわけだ。