四川大地震

 中国政府は今日になって5万人以上という死者推計を出したようだ。阪神大震災の10倍という想像を絶する数字。もちろん災害の悲惨を死者の数で比較することに何の意味もなく、途方もない数の一つ一つの悲劇がそこには起こっているわけだが、四川の悲嘆の声の総和は世界を打ちのめすようだ。
 四川省省都成都は、詩聖杜甫漢字文化圏で最も美しい詩のいくつかを作った我が憧れの土地。成都自体には大きな被害はなかったようだが、僻地に住む貧しいチベット系の人々が多く犠牲になった。ここにも、少し前まで喧しかったチベット騒乱と共通する、多民族を漢民族が統べる中国の矛盾と苦悩が現われているのだろう。
 いずくんぞ広厦の千万間なるを得て
 大いに天下の寒士を庇いて倶に歓ばしき顔せん
 風雨に動かず安きこと山の如し
 嗚呼 何の時か眼前に突兀として此の屋を見ば
 吾が廬 獨り破れ凍死を受くともまた足れり
 長詩「茅屋 秋風の破る所と為る歌」にこううたった杜甫の夢は、1200年後の今も遠い。
 北京の為政者の思惑、インドにいるダライ・ラマの思惑がどうあれ、この夏の北京五輪は鎮魂の色彩の濃い厳粛な大会にならざるを得ないだろう。あるいはその前に、大会の延期を唱える声が高まるかもしれないな。