パンデミック

 今朝の朝日新聞生活面。新型インフルエンザ大流行に関する記事に、各家庭での食料備蓄の必要性が説かれていた。「もし流行したら、空気・飛沫感染するため外出が難しい。流行の波がおさまるまで家にこもるための食料や飲料品など約2カ月分の備蓄の必要性云々」という国立感染症研究所研究員のコメントとともに、親切にも備蓄品のチェックリストまで掲載されている。読みながら、担当記者はパンデミックの際に日本社会が直面する難しい状況をほんとうに理解しているのだろうかと疑問に思った。
 確かに医学的には2カ月間家にこもって流行をやり過ごすことが得策、というか場合によっては生死を分けることにもなるのだろうが、それはさらっと書くほど簡単なことじゃない。終身雇用が崩れて多くの人がリストラの影におびえている日本社会。失職を恐れて過労死するまで働き続ける人が少なくない国だ。それに惰性的な労働依存症の人々も多い。阪神大震災の際、ぐにゃぐにゃになった線路を目の前にしながらプラットホームで電車を待ち続けていたサラリーマンがたくさんいたというではないか。
 そんな社会で、家族を守るために明日からきっぱり休職する、子どもも学校を休ませると宣言できる人はきっと稀だろう。家にこもるためにはもちろん食料の備蓄は必要だが、その前に「ただちに家にこもるべし」という社会的コンセンサスが必要なのだ。場合によっては政府の勧告や強制も必要かもしれない。人の流動をできるだけ抑えて感染拡大をくい止めるためには、抜け駆け的に会社に忠誠を尽くそうとする人々を規制することだって必要だろう。
 かといって、最低限のライフラインを確保し続けるためには、働いてもらわなければならない人もいる。パンデミック後のことを考えると、無数の難しい事態が予想される。この国にはそれを綿密に徹底して想定し、シミュレーションを繰り返し考えを尽くして、最も効果的な方策を用意している専門家はいるのだろうか。そして、その智恵をいざという時にはただちに実行に移そうと準備万端整えている行政官はいるのだろうか。もしいないならば、防げたはずの多くの悲劇が、いずれ我々のまわりで起こることになるのではないか。