アファナシエフ

 今夜、BShiでやっていたワレリー・アファナシエフのドキュメンタリーは不思議な番組だった。前半は亡命にいたるこのピアニストの人生をたどるのだが、「漂泊のピアニスト・アファナシエフもののあはれを弾く」というタイトルの通り、後半はにわかに日本の美学への共感に焦点が当てられ、保津川で舟に乗ったり、能を鑑賞したり、お寺でピアノを弾いたりする映像が続く。最近、外国人が日本文化に心酔する様を紹介する、自己愛的な番組が多くて辟易しているのだが、ここでもこのユニークなピアニストを追いつつ、結局文化ナルシシズムの甘味付けもちゃっかりやっているようで、少し嫌な感じがした。もちろん、アファナシエフは特別に思索性豊かなピアニストのようだから、日本の芸術や美学から大きな影響を受けてはいるのだろう。けど、それはあくまで自己のピアニズムに新しい視点を導き入れるための一つのヒントとしてであって、体系的な文化理解に基づく西洋から東洋への宗旨替えなんかではないはずだ。曲解や拡大解釈、いいとこ取りやちょい齧りのジャポニスムに自惚れるのは馬鹿げてるし、そんなことが流行る文化状況は創造的とはいえないんじゃなかろうか。
 ところで、アファナシエフが「もののあはれ」を最も体した曲として選んで、京のお寺の墨絵の間で弾いたのはシューベルトの21番ソナタだった。iPodにも入れてるのであらためて聴いてみると、確かに独特の演奏だ。えらく遅いし、間がやたらと多い。音楽として美しいかどうかは別として、二人といない特異なピアニストであることは確かだろう。