尾崎喜八


  秩父の早春

森林や谷間にはまだぎっしりと雪がつまっているが、
ほんのり緑をさした鋼いろの空の遠方では、
早い春の試みのような、薄命の、
おさない雲が浮かんではまた消える。
時の輪廻の重い輪の下におしだまって
待つのは、自然ばかりか、人間も同じだ。
凍結の一夜が明けると束の間の日光がいう、
落胆するな、お前の時はじきに来る、と。
その太陽もやがて烈風のなかに傾けば、
樺の林は奥ふかく、くらく、悲しく燃え上がり、
りんりんと紫にこおりはじめる夕暮を、
人はいよいよ頑なの戸をとざす。
しかし今日は何という慈みの色が
峯つづきの空から空へ流れていることだろう。
とおく二つの国をよぎる此の河の下流から
何という春の息吹きが上って来ることだろう。

 先日の氷ノ山の一夜で心に浮かんだのが、尾崎喜八のこの美しい詩。椈の林の奥深くに燃える夕陽を眺めてからテントにもぐり込み、ランタンの小さな火とシュラフの温もりに守られながら、もの皆を凍りつかせて山の夜が深まるのを感じていると、この詩に盛られた早春の先触れの表現がしみじみ懐かしいものに感じられるだった。翌日は残念ながら、よく晴れてはいても朝から冷たい風の吹く日で、慈しみの色が空に流れるのを感じるにはまだ少し早かったけれど、いみじくも詩人が呼んだ早い春の試みのような幼い雲は、椈の春芽の色に染まり始めた峯の上遠くに、確かに浮かんでいたのだった。