音盤時代

 今だにシューベルトの後期ピアノ・ソナタ浸りが続いている。最近買ったCDもこればかりだ。色んなピアニストの盤を集めているが、廃盤になったものも多くて、いきおい中古CDばかり買うことになる。アマゾンのマーケットプレイスやYahooオークションの中古CDのラインアップが充実してきて、たいていの廃盤が見つかってしまうことも手伝って、いつのまにか中古盤を買うことに抵抗がなくなっている。20年あまり使ってきたオーディオセットの調子が悪くて、ピアノ曲ならこれでも聞けなくはないと、iPodを専らのリスニング装置としていることも大きい。その際は、CDからパソコンにデータを取り込んでiPodに転送する。そうしたなかで、知らない間にCDの位置づけは、直接音をあふれ出させる輝かしき音盤から、音楽データの仮の格納メディアに下落してしまったようだ。だから盤が新しかろうが古かろうが、中のデータさえ完全ならどうでもいい。これを突き詰めていけば、音楽はすべてデータとしてパソコンのなかで管理することになる。実際、娘たちの聴き方をみていると、音楽が物としての音盤と不可分だった時代はとうに終わっているみたいだ。唯一大規模な再生装置をどうしても必要とするクラシックなどのファンだけが今も音盤を信奉しているわけだが、それも、たとえばパソコンから無線でデータを飛ばせるオーディオ装置などが出たら、簡単に改宗してしまいそうな気がする。もちろんデータはハードディスクのクラッシュで簡単に消滅してしまうものだから、格納庫としてのCDは簡単になくならないにしても、音楽ディスクとしてのCDがいつまでも続く保証はなさそうだ。