白根三山縦走

 8月最後の晴れを座視しているわけにはいかないと、日曜、2年越しのプランの白根三山縦走に出かける。前夜2時、奈良田の一番上の駐車場にたどり着いて車中泊。最初のバスは5時半だが起きられず、8時前のバスで広河原へ。野呂川沿いに穿たれた道は、なるほどいつ崩れても不思議ではない頼りない道。助手のおっちゃんが飛び出していって道に落ちた岩を片付けたりする。けど、左の斜面を見上げていると、時々ハッとするようなきれいな滝がかかっている。
 10年ぶりの広河原はマイカー規制で、以前は車であふれ返っていたのが嘘のよう。中学生の娘と雨の北アから転進して、車でキャンプした後、北岳に登った、あれが10年も前なんて。子どもはどんどん成長するけれど、親は十年一日の如し。すぐに吊り橋を渡って大樺沢をめざす。久しぶりにテントを担いだ登りは苦しいが、沢沿いの道にはミヤマハナシノブとタカネグンナイフウロの爽やかな青が目を涼しくしてくれる。名物の雪渓はもう小さく、その上を歩くことはない。大岩壁バットレスから落ちるバットレス沢で汗を拭き、谷心のガレを登って、最後は丸太組みのはしごを幾つも息絶え絶えに攀じって、八本歯のコルでようやく稜線。南アルプス固有のタカネビランジの白花が、可憐に出迎えてくれた。
 そのまま稜線をまっすぐ登れば北岳山頂だが、見上げると午後のガスがかかり真っ白なので、トラバース道に入って北岳山荘へ直行。素晴らしいお花畑のなかを通る道で、環境の厳しそうな斜面に丈低く生育した高山植物が、精一杯に咲き続けている。キンロバイ・ミネウスユキソウ・タカネイブキボウフウ・タカネナデシコ・タカネコウリンカ・キタダケトリカブト・トウヤクリンドウなどなど。もう終わっている花も多く、草原には茶色もまじり始めているけれど、それでもこの花の多さ。このトラバース道は花の山としての北岳を知るには最適のルートだったようだ。
 北岳山荘着2時半。小屋横のテント場の一番上に張り、テント横に腰を落ち着けて、ビールを啜りつつ夕方までマッタリ。ガスで景色はないが、バイト君らしい茶髪のにいちゃんがコンガのようなものを持って出てきて、しばらくテント場の横で打ち鳴らす。テントの人も小屋泊まりの人も、耳を傾けつつくつろいでいる。寒くなって、テントにもぐり込んで一眠り。暗くなって夕食。湯を沸かしてインスタントパスタを煮る。蝋燭ランタンを灯し、shuffleで音楽を聞きつつ就寝。
 4時にアラームをかけていたが効果なく、気がつけば5時前。テントから顔を出すと、早くも地平線が赤らみ、テント場の正面には雲海の上に富士が端座している。一気にテンションが上がり、カメラだけを肩に(結局一眼をぶら下げて登っている)山頂に向かう。5時15分日の出。その前後の空と山のドラマを歩きつつ見守る。頂上まで来るともう朝の陽差し。北岳の三角の影が中央アルプスに向かって伸びている。
 急ぎテントに下り、身支度をし、テントを畳む。この先の行程が長いので、ゆっくりもしてられない。結局7時45分発。奈良田までのコースタイムが10時間半なので、暗い林道を歩く可能性も。まあ、焦ってペースを乱したり、きちんと休憩を取らずに疲労を募らせたりしては元も子もないので、キープペースで残りの2山を越えていく。もちろん山の風景と時間もしっかり楽しみつつ。といっても、この2山は岩礫と砂礫の地形が主で、花の楽しみはほとんどない。めだつのは寂しげな秋の花、トウヤクリンドウくらい。けれど景色は雄大そのもの。進むにつれて、右に南アルプス中部の山々、塩見岳・荒川三山・赤石岳の眺めが展開する。振り返ると、深田久弥が「清秀な高士のおもかげがある」と評した北岳がいつも風景を引き締めている。歩いては眺め、カメラを構え、また歩き、何だか足と目だけの存在になってひたすら山稜を遍路する。
 間ノ岳の下りは岩塊と這い松の斜面がゆったり起伏する大きな地形になっていて、その先に赤い屋根の農鳥小屋がある。中庭を抜けていくと、ビーチベッドで昼寝をしている人が。ははあ、これが有名な偏屈親爺だなと、顔だけ拝んでそっと通過。この小屋はこの人一人でやっていて、心がけの悪い登山者には遠慮なく説教を垂れるらしい。今から奈良田に下れるでしょうか、なんて聞こうものなら、格好の餌食だろう。けれどこの小屋の隔絶したロケーションは気に入ったし、テント場も居心地よさそうなので、時間があれば一泊してもよかった。荒川小屋とこの小屋、テントを張りに行きたい小屋が増えた。
 農鳥岳への登りを最後のご奉公と頑張る。西峰への短い急登につづいて、本峰への岩の斜面を踏み渡りつつの長い登り。右手西側には大井川源頭のカール状の大斜面を前景に、南ア中部のパノラマ。東側は縁辺に差しかかってのぞくと千仞の谷になっていて、なるほど道はずっと西側をトラバースしているわけだ。細長い山頂部のうち、道標が林立している所が白根三山の3つめ、農鳥岳山頂。なぜか黒御影石大町桂月の歌碑も立っている。「酒のみて 高根の上に吐く息は ちりて下界のあめとなるらん」というのだそう。本人が登って詠んだ歌だそうだが、他に感想はなかったのかね。
 後は下るのみ。大門沢下降点からは奈良田に向かって長い下りが始まる。下り初めには、よく潤った草の斜面があり、ハクサンフウロ・タカネグンナイフウロが可憐に咲く。ずっと岩勝ちな風景を見てきたので、豊かな緑と花をみるとホッとする。けど、その先は樹林帯の激下り。道は新道みたいに不安定で歩きにくく、北アの笠新道の下りを思い出す。飛ばさなくても汗が噴き出す。沢沿いの道になるとようやく歩きやすくなり、3時前、大門沢小屋。バス道まではあと3時間ということで、まあ大丈夫でしょうと、ジュースを買い大休止。南ア茶臼小屋からの下りのウソッコ沢小屋みたいな位置にある小屋。あの下りも長かったなあとしみじみ。
 その先は我慢我慢の歩き。こう長くなると、足はもとより、ザックが食い込み肩が痛み始める。道は沢沿いの深い樹林のトラバースで、大峰・台高に似た雰囲気。発電所の取水施設が現われ、ワイヤと板切れだけでできた吊り橋をこわごわ渡る。地図を見ると、こんな吊り橋が全部で4つ。ところが3つめの吊り橋で一気に雰囲気が変わる。巨大な堰堤工事をやっていて、重機がうなっている。ルートも埃っぽい工事用道路に飲み込まれる。アップダウンはないが、登山の締めの長い道路歩きはいつもながらに苦痛そのもの。5時を過ぎて、次々に下っていく工事関係者の車は乗せてくれそうにないし。と、山仕事の人らしい軽トラが止まって荷台に乗れという。助かった。飛び乗って、大きな伐採鎌と一緒に荷台で揺られて、5時半駐車場に帰着。去っていく軽トラに帽子を取って深々と頭を下げた。素晴らしかった山々にも。
白根三山縦走アルバム