地蔵盆

 昨日は地蔵盆だったようで、子どもの人数分のお菓子の袋が届いている。といっても、もうお菓子をもらう年ではない娘たちなのだが。子どもの頃、地蔵盆といえば、もちろん楽しみではあるが、同時に夏休みの終わりを感じさせる、一抹の寂しさもまじる行事だった。ここ神戸では子どもたちは地域の地蔵さんをはしごして、お菓子を集めて回るのが慣行のようだが、自分が生まれ育った南河内では、集まる祠は地区によって決まっていて、他には行ったことがなかった。
 夕方、行水でさっぱりした身体で、村中と呼んでいた古い集落の外れの、地蔵さんの前の辻に駆けつける。すると、いつもはひっそりとしている祠に、この夜ばかりはたくさんの提灯が灯り、道に張り渡された裸電球が煌々と光り、光に照らされて色とりどりのお菓子が、祠の前に山と供えられているのがまぶしく目を引く。お菓子だけでなく、村の母親たち手作りの香々の握り飯やお稲荷さんなども供えられていて、その匂いが空腹を刺激する。そして道に敷かれた茣蓙の上には、お婆さんたちが背を丸めて座り、膝においた小さな本を繰り、鉦を叩きながら、意外に澄んだ声で調子を合わせて御詠歌を詠唱している。長々と続く、その懐かしいような悲しいような、歌ともお経ともつかない声の抑揚を、辻にぎっしり集まった子どもたちは、みんな大人しく聞いている。
 毎年何年も聞いた御詠歌がほとんど記憶に残っていないのは、長い詠唱がすんだ後に配られるお菓子をだれもが今か今かと待っていたからだが、今、記憶の奥に沈んだ夏の薄暮を手繰ってみると、かろうじて「なみまにうかぶちくぶしま」という言葉の断片がメロディー付きでよみがえる。ネット検索してみると、これは西国第三十番札所宝厳寺の御詠歌で、
 つきもひも なみまにうかぶ ちくぶしま ふねにたからを つむここちして
 というエラクめでたい歌の一部のよう。なぜここだけが記憶に残ったのかは定かではないが、言葉と抑揚とお婆さんたちの澄んだ声とが、とりわけマッチした部分だったからかもしれない。毎年この「なみまに」が聞こえると、ちょっと心が揺れるような感じがしたのを覚えている。
 村外れにある地蔵堂の背後には田圃が広がっていて、暮れていく野の風景と入れ代わるように祠を包む明かりがいっそう輝き、御詠歌の声、鉦の音が野末に夜空に響いていくよう。思えば美しい祭りだったな、東野の地蔵盆。今も変わらずにあるだろうか。