昭和影像

 昭和30年代のニュース映画を順次公開していっている[朝日ニュース昭和影像ブログ]というのがあることを知り、しばしのタイムスリップを楽しんでみた。高度経済成長のとば口のこの時代の影像には、まさに「普請中」と言うしかない、右往左往する国の姿があって、懐かしさと同時に(もちろん覚えているわけではないが)、「おお日本よ、お前はなんてシッチャカメッチャカだったんだ」と言いたくなる辟易した気分も湧いてくる。まあ、人間の営みなんて、究極の平和と安定を実現した宇宙人がいたとして、その目から見れば、昔も今も一貫して混乱の極みなのだろうけど。
 ちょっとピックアップ。
女の園」――昭和30年の最盛期の洋裁学校の様子。自分が進学情報誌の編集部にいた30年後はその衰退期で、学生のいない名前だけの服飾専門学校がたくさん残っていたものだが。
あの道この道」――昭和33年の道路事情。そういえば泥んこ道なんて、登山以外では歩くことなくなったなあ。
今世紀最後の金環食」――昭和33年にあった国内最後の金環食。もちろん記憶にない。本当は1987年の沖縄が最後の金環食らしい。当時はまだ返還されてなかったからな。
戦力論争に新判決」――有名な砂川事件に対する昭和34年の東京地裁自衛隊違憲判決。伊達裁判長のインタビューも。
砂におびえる村」――安部公房の『砂の女』のモデルとなった酒田市浜中集落の苦闘。ニュース影像自体が何かシュールだ。
マンモス化の団地住宅」――昭和37年、誕生したばかりの大阪・東京の巨大団地の影像。で、「香里園団地」の今の様子はここ。今昔の感あり。
愛大生の7遺体を収容」――山岳遭難史上に残る昭和38年の愛知大生13人の薬師岳遭難。これはかすかに記憶があるなあ。今は登山口に立つ苔むした慰霊碑が記憶をとどめるのみ。