『文学全集を立ちあげる』

 面白いので半日で読んでしまった本。丸谷才一鹿島茂三浦雅士という手練の本読みが(丸谷以外未読だが)、架空の文学全集を構想する。今や絶滅状態の文学全集という出版形態だが、その構成、つまり作家・作品の取捨選択には各時代の文学観が多少とも反映されているわけで、文学全集の構想そのものが究極の批評行為と言えるかもしれない。そこに目をつけた「文藝春秋」の増刊企画を、日本文学編を加えて単行本化したもの。まあ、気軽な放談スタイルの鼎談は、単に好き嫌いをぶつけ合っているようにも読めるが、3人の選択には確かに一定の主張があるようだ。
 それは一言で言うと、エンターテインメント主義。文学、特に小説の目的は、人生如何に生くべきかを提示することにあるという、かつての文学観はあっさり否定される。で、世界文学全集からロマン・ロランアンドレ・マルロー、ヘルマン・ヘッセが除外される。ジイドやトルストイも評価が低い。代わってイギリス小説のうまさが称揚される。この辺りは丸谷好みという気もするが、時代の空気が遠ざかるにつれて、その時の現実と生々しく切り結んだ小説や、時代の思想を体した小説が冷めた評価に曝され、より風化する部分の少ない、小説という芸術形式本来の面白さを主に追究したものが高く評価されるのは当然の成り行きかもしれない。また、ヘミングウェイの長編があっさり「メロドラマ」として片づけられているように、作家を飾っていたスター性がはげ落ちて、作品だけが評価の対象になるということも起こる。
 この本の後半は、古典から現代までの日本文学に当てられている。ピックアップされた作家・作品のラインアップには大きなサプライズはないが、その評価の軽重の議論には、タブーを破ったと表現したくなるようなものも。思わず「そんなこと言うて、エエんかいな」と言いたくなった、一刀両断のあるいは搦め手からの偶像破壊的コメントの餌食は、近代以降・戦前では、北村透谷・森鴎外永井荷風芥川龍之介立原道造中野重治堀辰雄小林秀雄となかなか壮観だ。その辺りの、文学史的常識への挑戦、というか“いちゃもん”が、この本の一番の読ませ所と言えそう。
 続いて、戦後で毒牙にかかるのは、野間宏椎名麟三中村真一郎堀田善衛三島由紀夫井上靖。このうち、個人的に異議ありなのは野間宏。特に代表作『青年の環』を歯牙にもかけないというのはどうかなあ。岩波文庫で最も分厚い本と言われる(5分冊合わせて4380ページ)この小説を2回も読んだ私は変態? まあ、この小説の場合、その長い長い会話文を面白く読むには、大阪弁のニュアンスや言い回しへの理解が不可欠。まさに大阪弁小説としか言いようのないものなので、あずま方の皆さんの不評は致し方のないことかもしれない。いつの日か、関西出身の評論家や作家が、このディープな魅力にあふれた小説を正しく評価し直してくれることを期待している。