フルトヴェングラーのブラームス第2交響曲

 [Blue Sky Label]でダウンロードした標記の曲を聞く。ウィーンフィルを振った1945年1月28日のライブ録音。スイス亡命直前の演奏会という解説にひかれた。ナチスに協力的だったというイメージのあるフルトヴェングラーだが、実は何度か亡命を画策していて、ドイツ降服の3カ月前にようやく実現したらしい。
 フルトヴェングラーを聴くのはほとんど初めてという、基本的な教養に欠けたクラシックファンなので、演奏の分析などできるはずもないが、曲自体は好きで、複数の指揮者で聴いている。すぐに分かったのは、今まで聴いたことのない類の演奏だということ。張りつめていて、すごい迫力だ。録音は当然モノラルで、ライブのこととて、そして戦時下、いや占領下のウィーンのたぶん栄養状態も悪化している真冬のこととて、聴衆の咳きもやたらに多く、けっして聴きやすい録音ではない。しかし、演奏に圧倒されて、すぐにそんなことは気にならなくなる。
 この音楽を文章に移すすべは持たないが、巨大なものに追い詰められながらも、それに抗して音楽の豊穣と力を精一杯打ち出そうとしている演奏と、利いた風な言い方をしたくなる。重厚な部分はより重厚に(たとえば第1楽章)、伸びやかな部分はより伸びやかに(たとえば第2楽章)、そして前進力にあふれた部分はより前に向かって(第4楽章のすさまじい速度)。破滅に向かってひた走る時代のなかで、その日ムジークフェラインザールに集まった聴衆と楽団員、そして亡命を決意した指揮者が作り上げたものを、やはり抵抗の芸術と呼びたくなった。