林 達夫、カレル・チャペック

「冬の夜のたのしみの一つは、ストーヴを前に、種苗商から次々と送りつけてくる園芸案内を見ながら、来るべき春の園芸計画をあれこれと思いめぐらすことである。一九五六年の春、ふとしたことから、わたくしは久しくやめていた植物の蒐集や栽培を再びやりはじめた。それに伴って、わたくしの机上には、いつのまにやら、全国のめぼしい種苗商はもとより、肥料会社や園芸用土商やビニールのパイプ・ハウス屋さんや刃物屋さんに至るまでのカタログが二十三十と積まれてしまったのである。昔からわたくしは大のカタログ・マニアであったが、このみすぼらしい、薄っぺらな小冊子が未来の生活設計を触発して人のこころを期待にふくらますから妙である。小説には退屈することがあるわたくしも、カタログには未だかつて退屈したことがない。」
「園芸案内」林達夫
 趣味の話に、大知識人林達夫の文章を引くのは恐縮だが、今も園芸の楽しみの、半分とは言わないまでも3分の1くらいは、冬に属する。花が終わり葉も枯れて、庭が殺風景な裸地にもどると、草花であふれていた季節にくらべて、庭は随分広く見えるようになる。すると園芸家の脳裏からは、新しく手に入れた苗をどこに植えようかと、庭を何度も回り歩いて困り果てた、つい数カ月前の記憶はすっかり消え失せる。そして、目の前の隙間だらけに思える土地を満たすべき新しい花々を探す、机上園芸の情熱がふつふつと湧き起こるのだ。かつては「みすぼらしい、薄っぺらな小冊子」だった園芸カタログは、今ではインターネットに居を移し、美しい写真と手の込んだ惹句にあふれたオンライン・カタログと化しているから、誘惑は一層深い。バラ・ハーブ・ボタン・ジャーマンアイリスクリスマスローズ、そのほか諸々の宿根草や花木…。あらゆる種類の園芸植物のあらゆる品種・園芸種が、クリックひとつで次々に現れるから、元来蒐集欲に富んだ園芸家は気も狂わんばかりだ。こうして、めくるめく机上園芸のシーズンが過ぎて、次の春、彼を待っているのは、80年前にチャペックが描いているのと寸分違わぬ事態なのである。
「『だめだ、ここには植える余地がない』と、小声でブツブツつぶやく。
 『まずいなあ、こんなところへキクを植えちゃった。また、フロックスを窒息させちゃうにちがいない。あっ、こんなところにムシトリビランジがある、ちくしょう! あそこにはカンパニュラがのさばってる。あそこのノコギリソウのそばもあいていない。――どこへ植えたもんだろう? 待て、ここへ植えてやろう。――いかん、ここにはキジムシロが植わってる。でなきゃ、あそこか。――あそこもリュウキンカが植わってる。ここに場所がありゃしないかな。いかん、ここはムラサキツユクサでいっぱいだ。じゃあ、あそこはどうだ。――あそこからは何がでてくるんだっけ? はてな、何だったかしら。やあ、ここに小さな場所が一つあったぞ。待っててくれ、いますぐにおまえのベッドをこしらえてやるからな。ほらね、これでいいだろう。無事に育ってくれよ』
 ところが、それから二日たって園芸家は、ちょうどマツヨイグサの深紅色をしたシュートの上に苗を植えてしまったことに気がつく。」
『園芸家12カ月』カレル・チャペック(小松太郎訳)