グレン・グールド「ジークフリート牧歌」


 表紙に“Glenn Gould plays his own transcriptions of Wagner”という長いタイトルのついた紙パッケージのCDに収められた一曲。中のライナーノーツには「ピアノによるワーグナー・コンサート」というタイトルがついている。アマゾンで探したら「プレイズ・ワーグナー [Limited Edition] 」となっている(現在、在庫切れ)。どれが公式のタイトルやら。
 たまたまFMでこの曲を聞いて強い印象を受けたのが、グールドとのきわめて遅い出会いだった。そして、今はなくなったハーバーランド新星堂でアルバムを見つけて購入。その後、御多分に洩れず、定番の「ゴルトベルク変奏曲」に圧倒されるという“グールド体験”をたどったわけだが、一番好きなのは今もこの曲かもしれない。オリジナル以上におおらかで優しく、抒情的。編曲と演奏、両方でのグールドの勝利。これをワーグナーが聞いたらどう言うだろう。庇を貸して母屋を取られる。烈火のごとく怒るかも。
 ところで、このCDのライナーノーツには、1973年にカナダ放送協会のラジオ番組で行われたグールドとケン・ハズラムという人の対談が収められていて、これがとても面白い。ジークフリート牧歌をピアノ編曲した際の苦労話が主に語られていて、どうやらグールドの編曲技法の勘所が具体的に明かされているようなのだが、譜面が読めない身には隔靴掻痒、猫に小判なのが残念。そして最後にマイスタージンガー録音の裏話が曝露されるのだが、ここの会話は傑作なので、ぜひとも引用しておきたい。

「GG:(マイスタージンガーの)最後の3分間はちょっとやっかいでした。…しかも、ワーグナーは独創的かつ軽率に、それまで出てきたあらゆる動機を凝縮し、“フーガの技法”的過剰さを作り出す。対位法的な創意の少なくとも一部分は意図的に削らない限り、ピアノで弾くのは文字通り不可能なのです。
KH:ところが削ればこの作品が台無しになってしまう?
GG:そう。
KH:編曲を書く前、お宅ではその部分をどうやって弾いていたのですか?
GG:主要な声部のどれかひとつを抜いて、“ミッチと歌おう”風に、最上声部を歌ってその場をしのぐんですよ。
KH:グールドさん、お言葉ですが、歌声でしたらあなたのレコードにはすでに十分詰まっていますよ。
GG:ご指摘、しっかり肝に銘じておきますよ、ハズラムさん。
KH:しかし、グレン、まじめな話、この部分をどうやってレコードにしたんですか?
GG:レコードでは、最後の3分間のために第1ピアノのパートをまず書き、録音し、それからイヤフォンをつけて、欠けている声部をすべて第2ピアノとして加えていったのです。
KH:なんですって!? グレン、あなたは電気的なペテンを告白しているんですよ、芸術の誠実さに対する冒涜を――
GG:――これに関する倫理的命令の議論は別の機会に譲りませんか?
KH:いいでしょう。しかしその3分間を多重録音したことで、マイスタージンガー前奏曲がピアノでそっくり弾けるという確信は得られたのですか?
GG:恐れ入りますが、それは私の申し上げるべきことではありません。しかしまあ、私自身のルバートにシンクロさせるのはまさに悪夢でしたので、私はフェランテ&タイシャーにはなれそうにないですね。(宮澤淳一訳)」
「ピアノによるワーグナー・コンサート」(Sony Records:SRCR2288)ライナーノーツから抜粋