玉堂切り抜き

 「古人の書画、飲興を借りて作る者あり。紀玉堂また然り。けだし酔中に天趣ありて人為に異なるなり。紀、酣飮始めて適し、落墨娓々休まず。やや醒むれば則ちとどむ。一幅、或いは十余酔を経てはじめて成る。その合作に至っては、人をして神往き、これを掬して尽きざらしむ。ただし極酔の時は放筆頽廃、屋宇樹石模糊として弁別すべからざるなり。
 余、紀の画を評す。三可あり。樹身小にして四面枝多し。一可なり。点景人物極小にして、これを望めばなお文人逸士を知る。二可なり。烘染皴擦深く紙背に透る。三可なり。また三称あり。人は屋に称い、屋は樹に称い、樹は山に称う。或る人曰く、いやしくも画を作るに悉くまさに然るべきなり。なんぞただ紀のみならんやと。答えて曰く。然り而して今史のなさざるは如何にと。」
『山中人饒舌』田能村竹田
 「玉堂にも文人画家としては破格の芸当があるが、画技に豊かなものを持っておらぬから、含蓄がありそうに見えて実はない。単純だ。彼は、けっして絵の中で自己を完成した人ではない。酒を呑み、琴を弾きながらどこかへ行ってしまった人である。」
『鉄斎I』小林秀雄
 「学者もいや。琴家もいや。文人もいや。書家もいや。畫人もいや。好んでほしいままに畫をかき、琴をひいても、畫かき琴ひきにはなりたくない。なつたものがいやといふわけである。うまれついた武家がいやになつて『出奔』したのも無理はない。もし山に入つて仙になつたとすれば、また仙たることを恥づといふか。山までもなく、俗中すでにおのづから仙であつたから、赤木綿の服に琴を負うて都大路をのしあるいたり、余人のいやがる牛乳をのんだりすることをはばからない。すなはち、そそつかしく人間を廢業することもない。…玉堂の畫はなにになることもいやだといふ人間がぶつつけた仕事である。これを文人畫の部に編入するのは、當人は知らぬがほとけだらう。畫において自然とたたかふことが自然にあそぶ所以、また當人がこの地上に生きる所以であつた。みづから切りひらいた山水の世界である。畫はいやでも切羽つまつた發明になるほかなかつた。發明はつひに凍雲篩雪圖を打出する。ブルーノ・タウトが玉堂の獨行をゴッホに比して、これを『ヨーロッパ印象派の先驅』のやうに見てとつたのは、奇嬌の言ではない。近代繪畫といふ名目につりこまれるにはおよぶまいが、近代といふ觀念は紙一重で玉堂に通ずる。文人優游の場に發しながら、その仕事はかへつて文人畫といふ觀念を破つてゐる。」
『玉堂風姿』石川淳